かつて「実行力」は、最も価値あるスキルの一つであった。どれだけ多く行動できるか、どれだけ早くPDCAを回せるか、どれだけ泥臭く動けるか──それが成果を分ける明確な指標だったのである。
しかし今、その価値は確実に変わり始めている。AIが指示通りに正確かつ高速に動けるようになった時代において、かつて「実行力」と呼ばれていた領域は、機械やアルゴリズムによって代替可能になってきた。
例えば、情報収集や文章生成、仮説構築や分析、アイデアのブレインストーミングまで、以前なら人間の手で「汗をかきながら」こなしていたこれらの仕事は、ChatGPTやその他の生成AIを使えば、数分でそれなりの水準に達するアウトプットを得ることができる。
つまり、「やること」そのもののコモディティ化が進んでいる。これまで“行動”や“タスク”が希少性を持っていた世界から、それらが大量に、しかも無料に近い形で手に入る世界に、私たちは突入したのである。
では、そのような時代において人間に残された価値は何だろうか。それは「何をやるべきかを設計できる力」、すなわち「構造力」である。実行の価値が下がる一方、「構造をつくる力」の希少性は日増しに高まっている。
構造を設計するには、目的と関係性を見抜く洞察力が必要であり、順序と優先順位を組み立てる戦略眼が求められる。何より「何のために?」という本質的な問いに向き合う姿勢なくして、構造力は育たない。構造をつくれる人間だけが、AIや他者の実行力を最大化できる。
構造を描けない人間は、どれだけ手を動かしても、どこにもたどり着けない。これは、単なる効率化の話ではない。構造を持たない行動は、「目的のない運動」に過ぎない。だからこそ、これからの時代において、最も価値ある能力は「実行する力」ではなく、「構造を設計する力」になるのである。
この変化は、単なる効率性の問題ではなく、人間の経済的価値の根本的な再評価を意味する。AIがより速く、より安価に実行できるのであれば、人間の比較優位性は、実行前の段階、つまり「何をすべきか」を定義し、それがより大きな意味のあるシステムにどのように適合するかを定義する能力に完全に移行する。これにより、「設計者」が不釣り合いなほどのレバレッジを持つ新しい経済状況が生まれる。
このことは、従来の実行に焦点を当てた職務が減少する一方で、構造設計に焦点を当てた新しい職務が出現する社会の再編を示唆している。
また、現在「実行者」を育成することに重点を置いている教育システムが、将来のニーズと根本的にずれている可能性があり、社会そのものに「構造的疲労」をもたらす。構造的思考の欠如は、個人的な問題だけでなく、システム全体の問題なのである。
図1は、この時代の変化を視覚的に表現している。
